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「細江静男先生とその遺業」は、サンパウロの刊行委員会で編集・発行されている。
"Mr. Hosoe Shizuo and his Establishments" is edited and published by the editors in São Paulo.

細江 静男医師(1901-1975)が日本に帰られた時の書が、中原小学校に掲示されている.

細江静男医師(1901-1975)、Amazon先生、(南米のシュバイツアー)は岐阜県 益田郡中原村(現下呂市)和佐出身。志は受け継がれている。
Hosoe Shizuo, MD, (1901-1975) "Amazon Doctor" is from Wasa, Nakahara-mura Village, (present Gero), Gifu Prefecture, Japan. A humanitarian doctor's spirit has been succeeded.

「細江静男先生とその遺業」刊行委員会編 São Paulo, Brazil で出版され、下呂からの旅行で行かれた湯ノ島のレストラン「更級」のマスターが20冊持ち帰られた由、下呂市、中原小学校には置かれているので、コピーを手にしている。日本では知ら れていない人物であるし、人道医師は我が故郷の誇りであるので、少しずつ紹介したい。 旧名岐阜県益田郡中原村(現下呂市)和佐 現在、80 数軒の小さな村である。"南米の シュバイツアー"細江静男医師に続いて農業移民も下呂から、岐阜県からも多く行かれている。

(梶原哲県知事の前文より)
ブラジルの医療の向上に大きな足跡を残した日本人医師の活動の記録が、記念すべき日伯修好 100 周年にあたる本年に刊行されますことに感慨を覚えずにはいられません。 先生は、1900年(明治33年)に岐阜県益田郡中原村(現益田郡下呂町和佐)で生まれ、 1930年(昭和5年)に慶応義塾大学医学部を卒業されると同時に外務省留学医として、 当時世界一大きな無医地区と言われたブラジルへ渡られました。以後、1975年 (昭和50年) に亡くなるまで病院建設などに努められ、生涯をブラジル保健衛生事業の向上に捧げられました。その間、先生は富も名声も求めず、その身その家庭を犠牲にしながら、ひたすら苦しむ人 を救うことに努められ、医師として最高の使命を果たされました。その恩恵は不慣れな移民生活に苦しんでいた邦人社会だけでなく、人種を超え現地人にも広く及びまし た...

(細江静男先生とバストス病院 浅海護也)
細江静男先生が慶応義塾大学医学部を卒業後、宮嶋幹之助教授の推挙により、念願であった、
無医村に働く一村医(外務省留学医)として、渡伯、1930年8月28日、伯国 (Brazil) サントス港に上陸、直ちに赴任した、サンパウロ São Paulo 州ソロカバナ線ランシャリア駅バストス移住地は、移住地開設2年目にあたり、倒木、焼け野が原に、日本人開拓農家が点在する、そして、その周囲はうっそうとした見渡すばかりの 緑の原生林であった... 1929年6月7日、ラプラタ丸渡航者18家族が第一回入植、9月第二回入植と同時に(前任)内藤利藤次医師が海外移住組合より派遣。仮医局がバストス移住地事務所に隣接 して設けられていた...

参考: 「細江静男先生の遺業」 刊行委員会編
         「アマゾン先生」 細江 静男著

日本人農業移民社会(コロニー)の援助下、いくつもの病院を建てて無医の国の医療の骨格を固めるのみならず、むしろ Amazon の村々の訪問診療に賭けられ、「Amazonの農村病」の著書もある。貧しい人々からは費用を取られず "Hippocrates の誓詞" の通りの人道医師であられた。自身も若き日の結核を再発などしている... 尚、岐阜に住む次女の夫、教師の故細江修氏の話を、偶然、行きつけの床屋さんで聞いた。静男医師の話など自ら全くせず、他からの話で初めて床屋さんも知ったと。また、岐阜大学医学部はじめ長良校舎の頃、大学生の下宿を されていた。その岐阜市長良白妙町に住む次女、細江仙子さんにお会いできた。日本(下呂、和佐)で育てられ、ブラジル滞在は静男医師自身の結核のための看護など短かったと、また、ブラジル北部の、やはり無医に近い国境付近で医師の夫持つ妹さんが来日中であった。次女は、"社会的な仕事を"との希望から、長く岐阜 UNESCO 理事を務められた...

筆者の 益田郡 中原村 和佐 一ノ瀬 のこの家も、実は移民の細江孝正さん、鋭次郎さんが一家で行かれたのを、1962年冬に両親が購入した。深い地下室は板屋根大工の祖父が掘った由。このとき筆者小学4年、鋭次郎先輩は中学3年で生徒会長、使い古した漢和辞典一冊を貧乏な後輩に残して行かれ、先輩は目標でありライバルであった。養蚕教師の父 柳三は、神戸へ移民船の見送りに行ってきたが、「環君が大きくなったら、来て下さいよーー!!」と鋭次郎先輩。二重、三重、何重にも模範の存在がおられるのに、村は過疎化の危機!!

鶯の里 Nightingale's Village.ram       <<=       =>>        =>>      page top

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